私の教員生活は実質36年間です(途中病気で1年間休職したため)。その36年間のちょうど半分、18年間を川中中学校の教職員として過ごせたことを、とても幸せに思っています。 思い返せば、昭和55年に採用され、美祢市に着任。4年間勤務した後、昭和59年4月に、下関に戻った私が赴任した学校が、垢田中学校と分離する前の川中中学校でした。当時は、プレハブが林立する、異常に人口密度の高い学校でした。でも、校舎の窓から北を見ると田園と玄界灘がひろがり、のどかな景色にずいぶんと癒されました。結局、この川中中学校で教諭として平成11年3月まで勤務し、その間、担任だけでなく研修主任や教務主任を経験させてもらいました。当時30代だった私に重責を託した当時の校長先生は、きっと清水の舞台から飛び降りるような思いで決断されたのだろうと、自分が校長になってからその勇気に感心をしています。しかし、その大英断によって、ずいぶんと勉強をさせてもらいました。また、保護者や地域の皆様にも、ご理解とご支援を賜り、心から感謝申し上げます。 その後、宇部市や美祢市で教頭、校長を経験させてもらい、平成26年度からは、校長として奉職することとなりました。合計18年間もお世話になったことに不思議な縁を感じています。 さて、私は教員生活を終えますが、川中中学校の「日本一学びが好きな学校」への挑戦は平成35年度まで続きます。こんな大それた目標が達成できるのかと危惧される方も多いとは思います。でも、この目標は、必達目標ではなく、めざすための目標です(目標には「達成するための目標」と「めざすための目標」があります)。生徒が一歩でも「日本一」に近づこうと努力すれば、目標の意義は果たせます。 そうは言っても大きすぎる目標です。生徒や教職員の気持ちが萎えることがあるかもしれません。その時には、地域や保護者の皆様の声援で川中中学校を立ち上がらせてください。どうぞ、川中中学校をよろしくお願いします。 長い間、お世話になりました。 児玉典彦 | | |